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大阪市城東区と賃貸特集
- 関目神社
関目神社須佐之男尊(スサノオノミコト)を祭神とし、現在は関目神社と称しています。
創建年代は不明ですが、天正8年(1580年)豊臣秀吉が大阪城築城の際、この地が大阪の鬼門にあたるということから鬼門鎮護の神として毘沙門天(びしゃもんてん)、牛頭天皇(ごずてんのう)を勧請し、小祠を建立したのが起源と言われています。
社殿は生徳年間(1712年~1713年)の台風により罹災しました。
また、明治18年の大水害により流出しましたが、明治21年に復興しました。
現在の神殿は、昭和52年10月に建て直されたものです。
- 楠根川跡緑陰歩道
楠根川跡緑陰歩道楠根川は、かつて旧大和川支流の玉串川から分かれた川でしたが、昭和44年の第2寝屋川開削により、放出・天王田・新喜多東間が埋め立てられ、その跡地は道路や公園になりました。
特に、下流域であった新喜多橋南詰から布屋公園までの300mは、昭和63年に「楠根川跡緑陰歩道」として整備され、人工的なせせらぎとその両岸に庭園や植栽が配置された緑豊かな遊歩道として親しまれています。
この遊歩道区間には、噴水や滝のように水が流れ落ちるところ、ゆるい勾配の石畳で徐水に入っていけるところなどがあります。
また、夕方には、川底に金魚をかたどったライトが点灯する場所もあり、親子のふれあいの場ともなっています。
夏には、子どもの絶好の水遊び場となっており大変にぎわっています。
- 鴫野・今福古戦場碑
鴫野・今福古戦場碑大阪冬の陣で有名な鴫野・今福の合戦は、付近一帯の城東区域を主戦場としたものでした。
当時この辺りは、旧大和川の支流が分流していて、湿地帯や水田が多く戦闘には不向きでした。
慶長19年(1614年)11月26日未明、この辺りを防御していた西軍(大坂方)の軍勢を東軍(徳川方)佐竹義宣・上杉景勝6500人の軍勢が攻撃し戦闘が始まりました。
戦いは双方の銃撃戦となり、合間に堤防上での激しい遭遇戦があり、29日まで一進一退を繰り返しました。
このとき、援軍に来た木村重成や後藤基次(又兵衛)の軍勢との乱戦の末、東軍がこれを破ったと伝えられています。
明治・大正の有名な漢学者で、新聞記者でもあった西村晴彦氏の撰になる碑が、大正9年(1920年)に城東小学校の校庭に建てられました。
- 城北川遊歩道(しろきたがわゆうほどう)
城北川遊歩道(しろきたがわゆうほどう)最近では、魚の姿が見られるほど水質がよみがえり、市民の憩いの場として、滝の広場、水の彫刻の広場、散歩やジョギングが楽しめる遊歩道として整備され、市内で数少ないレクリエーションゾーンのある河川として親しまれています。

